KIJIMA Takashi

From PHOTOGUIDE.JP
Jump to: navigation, search

KIJIMA Takashi 杵島 隆 (1920.12.24- ) California.

Claim to fame: In 1958, his photos of two women running around or posed totally nude in familiar places in Tokyo (especially in front of the Sakuradamon Gate at the Imperial Palace) caused a stir.

Major themes Nudes

Education Graduated Nihon Univ. in cinema arts in 1943

Career Moved to Japan at age 3 and raised by his mother in Tottori Pref. and acquired Japanese citizenship.

Apprenticed under UEDA Shoji in 1948. Moved to Tokyo in 1953 and entered Light Publicity to work as an advertising photographer. Turned freelance in 1956 and set up Kijima Studio.

Awards Asahi Advertising Award, Mainichi Advertising Award, Life Advertising Award

Sample photos http://fotonoma.jp/photographer/2000_12kijima/index.html

Biography in Japanese

1920:アメリカ合衆国カリフォルニア州カリキシコ市生まれ。

1927:鳥取県西伯郡大篠津村愛労尋常小学校に入学し宇田洋(のちに県政に参入)にクリエイターとしての影響を受ける。

1937:鳥取県立米子中学に入学し写真を始め、鳥取高農(現鳥取大学)芸術展一般学生の部準特選<濱の子供達>。

1938:県立米子中学校卒業後上京。

1939:境港市上道出身増谷麟の推薦により東宝映画株式会社の委託学生として日本大学芸術学部映画学科に入学。

1943:第13期海軍飛行予備学生に志願。三重海軍航空隊に入隊。

1945:福岡県築城海軍航空基地にて特別攻撃隊として待q@?f?ノ終戦。

従7位海軍予備飛行中尉。

1946:旧軍使用の航空フィルムで自家製フィルムを作成して撮影をする(広島・長崎の惨状をテーマにした抽象作品・砂丘ヌード作品など)。

1948:植田正治に師事。

1950:写真家集団エタン派結成。 アルス社「カメラ」土門月例年度賞(特選3点、入選6点、準入選4点)。 朝日新聞社「アサヒカメラ広告写真」2等。三楽焼酎ポスターになる。

1952:アルス社「1952 アルス写真年鑑」入選<むすめ>。 森永乳業「広告写真」に応募。上位を独占(特選・1等賞・2等賞・3等賞・入選)<大きなスプーン>

1953:二科展「第1回二科会写真部」に応募<村の人その2><村の人その3>入選。 上京、ライトパブリシティ入社。 日本テレビ開局にともないサッポロビールのCMを制作(民放CM第1号)

1954:朝日新聞社主催「第3回朝日広告賞」受賞(写真としては初めての受賞。洗剤<モノゲン>)。

1955:東洋レーヨン、カネボウ、マックスフ?@?Nター、第一生命、御木本真珠などの広告写真撮影。 富士写真フイルム主催「富士フォトコンテスト」プロフェッショナル部門最優秀作家賞。 ライトパブリシティ退社、フリーとなる。

1956:キジマスタジオ設立。 ギネ・グルッペ結成(西武百貨店にて第1回展。「婦人科」という新語がつくられる。秋山庄太郎、大竹省二、中村正也、松島進等) 毎日新聞社主催「第1回毎日広告賞」受賞。(第一生命ポスターによる<老婆>)

1957:日本写真家協会入会。 印刷時報社主催「全国カレンダー展」通商産業大臣賞受賞。 松坂屋銀座店ディスプレイ(写真と漫画を合成。写真によるショーウィンドーディスプレイの日本初の試み) 広告写真家協会(APA)設立を計画し初代会長に日大芸術学部長金丸重嶺を推す。

1958:栄養短期大学出版局「栄養と料理」の表紙制作を始める。~1960年 郵政省「郵便局の立て看板と等身大のイメージガールの起用」の立案・制作を始める(等身大ディスプレイの流行を生む)。~1975年 写真集「裸」のミニ本制作。キヤノンよりドイツフオトキナに派遣されマスコミに写真集を配付し話題になる。

1959:読売新聞社「週刊読売」の表紙制作を開始。 文化服装学園出版局「装苑」「ハイフ?@?bション」の表紙・フ?@?bション頁連載を開始。 京都誂友禅工業協同組合「見本帳」の撮影を始める。~1977 新宿御苑にて洋蘭の撮影許可がおり撮影を始める。 日本広告写真家協会委員。~1977年度 朝日新聞社主催「第8回朝日広告賞」新聞広告部門朝日広告賞受賞(「ミツワ石鹸」)

1960:タイム・ライフ社「ライフ誌ゴールドメダル」受賞。 ニューヨーク・アートディレクターズクラブの招待で渡米。日本人の心をテーマに「ルック」他のグラフ誌の特集に参画。 岩波書店「世界」にニューヨーク取材の作品を2ヶ月にわたり連載。 中央公論社「週刊公論」表紙を制作。

1961:日本写真家協会(JPS)理事。~1989年度 第1回日本広告写真家協会展(APA)の実行委員長。 歌舞伎座にて松本幸四郎「歓進帳」を撮影。伝統芸能の取材を始める。 防衛庁美術展の審査員となる。~2000年

1962:第10回日本写真家協会展(JPS展)「女」実行委員長(西武百貨店) 多摩美術大学付属多摩芸術学園(写真、映画、演劇)の充実に参画。

1963:田中千代フ?@?bションショー取材のため渡欧(日本のフ?@?bションデザイナーの海外進出開拓が目的) 産経新聞社「週刊サンケイ」表紙の制作開始。

1964:「新潟地震速報」展(国会議事堂)

1966:「写真の100年史」展(JSP記念事業)委員。 「全国高校生コンクール」(東京写真専門学校<現:東京ビジュアルアーツ>主催)写真担当審査員。~1998年

1967:オートクチュール制作に必要な人体の特徴をとらえるため「シルエッター」を開発しストロボメーカーコメットと大型カメラメーカー酒井製作所を結びつける。 「シルエッター」はその後厚生省の子供の人体測定調査に使用される。

1970:今井今朝春「38度線のこちら側・FREEDOM'S FRONTIER」をキジマスタジオが自費出版。

1971:三和銀行「アニュアル・レポート」国際賞を受賞。

1974:大蔵省「全大蔵美術展」写真部門審査員(林忠彦とともに)~2000年

1976:「The Orchid」日本写真家協会年度賞受賞。

1978:文楽協会記念公演「義経千本桜」通し狂言撮影(大阪朝日座)

1979:第14回日本写真家協会展実行委員長(新入会員で実行委員会をつくり会務の習熟を早める) 世界文化社「家庭画報」に「きもの歳時記」連載開始。 経済春秋社「経済春秋」表紙-洋ランによるシリーズ-連載開始。

1980:日本写真家協会(JPS)創立30周年にあたり感謝状を受ける。 祥伝社「微笑」フ?@?~リーヌードの連載開始。 世界文化社「家庭画報」に「きもの歳時記-源氏物語から-」連載開始。

1981:世界文化社「家庭画報」に「きもの歳時記-文様から-」連載開始。 朝日ソノラマ社「Nude Photographs of Japan」に作品3点収録。

1982:ADC賞受賞(「義経千本桜」による)。 印刷時報社「全国カレンダー展」審査員。

1984:平凡社「太陽」(特集「女形の美」中村芝翫、中村児太郎父子を取材) 講談社「SOPHIA」に前田親男の作品「着物の四季」を連載。

1985:第59回国画会展に応募<試作A>が野島賞を受賞(国画会写真部会員に推される)~2000年 川崎市市民ミュージアムに作品収蔵。 朝日新聞社「アサヒカメラ」に「杵島隆の写真教室」を連載開始。 印刷時報社「印刷時報」に「杵島隆のメディア教室」を連載開始。 新企画出版局「New Orchids」に「オーキッド・ギャラリー」の連載開始。~2000年

1986:国立劇場開場20周年記念公演「菅原伝授手摺鑑」通し狂言の撮影。 光画屏風の研究開始。

1987:大分県展審査員。

1988:日本写真家協会(JPS)副会長に選出される。 熊本県展審査員。

1989:日本広告写真家協会(APA)名誉会員に推挙される。 「'89ハチク会」結成(第24回JPS展実行委員によるフォトボランティア開始) 熊本県展審査員。

1990:「国際花と緑の博覧会」協賛ポスター・入場券に蘭花使用、花の美術館に蘭花作品収蔵される。 米子市美術館に作品収蔵される。 NHK・読売新聞社主催「世界らん展日本大賞」発足にあたり美術部門審査委員長に推挙される。~2000年

1991:勲四等瑞褒章を授与される。 宮崎県展審査員。

1992:日中国交20周年記念「日中写真家20人展」(日中両国主催)に10点出品。 佐賀県展審査員。 全国えびね協会結成の際、顧問に推挙される。

1993:世界らん展日本大賞'93「造型者たちの遊劇-蘭友会」のディスプレイに屏風作品を出展。(審査員特別賞受賞)

1994:徳島県展審査員。 '89ハチク会による「ハチクスクール」がカンボジアに開校。 HELP(Help the Earth and Life Project)結成。(ハチク会有志によるアンコール遺跡ボランティア撮影のため) 婦人画報社「美しい着物」に「お茶会のきもの」連載開始。 織物試作。(山口英夫に協力し蘭をテーマにして織物を使用した襖・屏風の試作)

1995:徳島県展審査員。 HELP第一次アンコール遺跡ボランティア撮影隊現地入り。 HELP会長に就任。

1996:矢橋グループ・三星砿業株式会社のために光画屏風2点を制作。 JCIIに作品が収蔵される。 「フォトボランティアジャパン」設立の必要性をプロの写真家に呼びかけハチク会の第7回チャリティー展をフォトボランティアジャパン主催の「写真家たちによるチャリティ展」に拡大移行させる。

1997:世界文化社「家庭画報」に「京女の綴るきものの暮らし12ヶ月」を連載開 始。

1998:東京写真文化館の館長に就任。 日本写真著作権協会理事に就任。 世界文化社「家庭画報」に「壇ふみの染め織り探訪」連載開始。 アンコール・フレンズ基金「国際チャリティー展」に出品。(アンコールワットのこども達の病n@OE嚼ンのため) 東京写真文化館に作品が収蔵される。

1999:日本写真家協会(JPS)監事。 写真集「西行桜恋歌幻視行」の制作編集開始。(日本の和紙を海外に紹介するのが目的)

2000:「世界らん展日本大賞」組織委員会副会長に推挙される。 日本写真家協会創立50周年展<私は遺棄される>出品。 '89ハチク会結成10周年展<東京26時>出品。

主な写真集

1975:講談社「The Orchid」

1978:イギリス/オクトパス社「The Orchid」

1980:スイス/アルベルト・ミューラー社「ZAUBER DER ORCHIDEEN」

1981:NHK出版「義経千本桜-Keys to the Japanese Mind-」(全4冊)

1982:世界文化社「きもの歳時記」

1983:イタリア/インスティテュート・ジオグラフィコ・デアゴスティーニ社「L'ORCHIDEA」

1987:小学館「蘭百花譜」

1988:グラフィック社「蘭」 小学館「蘭百花譜」インターナショナル版(Salamander Books・英国 Solar・フランス Sudwest・ドイツ Expressao E Cultura・ブラジル Giorgio Mondadori&Associati・イタリー Mallad Press・米 Uitgeverij Helmond-Helmond・ベルギー Anaya・スペイン)

1991:講談社「四季・新宿御苑」 小学館「桜の四季」

1994:音楽の友社「古代楽器の復元」(監修:国立劇場木戸敏郎)

1998:書苑新社「裸像伝説 Legend of the Nude 1945~1960」

主な写真展

1954:「杵島隆個展」(東京・銀座松島ギャラリー(現ニコンサロン))

1958:「鉄」(東京・富士フォトサロン) 「裸」(東京・富士フォトサロン) 「裸」(鳥取・米子市公会堂)

1961:「ニューヨーク・ハートビート」(東京・富士フォトサロン)

1964:「日本・カラー1964Color in Japan」展(国際文化振興会主催) (東京・銀座松屋)

1970:「砂の伝説」(東京・銀座ニコンサロン)

1972:「デコール・フォト」(東京・ペンタックスギャラリー) 「デコール・フォト」(鳥取・米子市公会堂)

1977:「The Orchid」(東京・西武百貨店)

1978:「The Orchid」(タイ・バンコク)

1983:「義経千本桜」(東京・銀座コンタックスサロン) 「1960」(東京・六本木ギャラリーワイド) 「ら・裸・・・La Nudite」(東京・新宿ペンタックスフォーラム)

1984:「義経千本桜」(大阪、京都・近鉄百貨店)

1988:「蘭花曼陀羅」(東京・小田急美術館)

1989:「光画」(東京・成城ギャラリー玄) 「2人展」(金畑実・杵島隆/米中35期生)(鳥取・米子市美術館)

1990:「FOUR SEASONS」(ニューヨーク・マスターイーグルギャラリー) 「チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「四季」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会) 「新素材のクリエーション」(東京・ミノルタギャラリー/'89ハチク会)

1991:「第2回チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「第2回東京展」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「第2回四季」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会)

1992:「らんとら-蘭と裸」(東京・新宿ミノルタプラザ/大阪・ミノルタプラザ) 「第3回チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「第3回東京展」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「第3回四季」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会)

1993:「菅原伝授手習鑑」(札幌市文化財団主催) (北海道・さっぽろ市写真ギャラリー/東京・コニカプラザ) 「第4回チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「第4回東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「第4回展」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会)

1994:「裸・1945~60」(東京・富士フォトサロン) 「第5回チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「第5回東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「第5回展」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会)

1995:「第6回チャリティー展」(東京・富士フォトサロン/'89ハチク会) 「第6回展」(東京・コダックギャラリー/'89ハチク会)

1996:「米子・6×6の時代 1945~1955」(JCII) 「第7回東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会)

1997:「8×10カメラによる銀塩写真」展 (スタジオエビス・フォトギャラリー/ '89ハチク会) 「オリジナルプリント」(東京・東京写真文化館/'89ハチク会)

1998:「第2回写真家たちによるチャリティー展」 (東京・富士フォトサロン/フォトボランティアジャパン) 「第8回東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会) 「裸・1945~60」(東京・東京写真文化館)

1999:「第3回写真家たちによるチャリティー展」 (東京・富士フォトサロン/フォトボランティアジャパン) 「第9回東京」(東京・コニカフォトプラザ/'89ハチク会)

(http://www.fujifilm.co.jp/photographer/2000_12kijima/profile.htmlより)

Personal tools